- 2008-08-14 (木) 9:44
- 連載:北の島通信
利尻島には会津藩士の墓が3カ所に合計8基あります。よく「戊辰戦争に敗れた人たちが流れてきたのですか?」とか「会津出身の方が多いのですか?」と質問されますが、どちらでもありません。
江戸時代、ロシアから数回の開港、通商の要求が出てきましたが、幕府は鎖国を理由にこれを拒んでいました。1807年ロシアは択捉島、利尻島などを訪れ、番屋や蔵、幕府の官船などを襲撃。
事態を重く見た幕府が会津藩に命じてこの北方の地の警固につかせたのが1808年のことでした。約1600人が宗谷、樺太などに赴き、このうち250人あまりが利尻島の任務につきました。
島の海岸線から目を凝らし警備をした日本海の海原を振り返ると、利尻山がそびえています。会津には磐梯山という山があり、ともに日本百名山に選ばれ「利尻富士」「会津富士」という愛称でも呼ばれています。
自分の意思とは別にふるさとを遠く離れて、この北の島にやってきた彼らが、利尻山をふるさとの磐梯山と重ね合わせて、離れ離れになった家族への思いを募らせた人もいたのではないかと考えると目頭が熱くなります。
幸い彼らが滞在中にロシアと交戦することはなかったのですが、慣れない気候や風土、事故で命を落とした方も少なくはありませんでした。
ちょうど節目の200周年となるこの年、会津若松市と利尻町、利尻富士町、稚内市ではさまざまな交流事業が行われ、今月終わりには会津から約120人の墓参団が利尻島を訪れる予定になっています。
今日8月13日、島人はお供え物を手に一斉に墓参りをします。島に身内がいない私は会津藩士の墓前で手を合わせました。
西島徹
自然ガイド利尻森の雫代表。
福岡県出身。1998年に初めて利尻島を訪れ、2004年に移住。
山すそで海風を受けながら大好きな利尻山をボーっと眺める時間が至福のとき。
http://www7b.biglobe.ne.jp/~rishirimorinoshizuku/
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