北海道のなだれ事故 2
Topic: 特集|雪崩に遭って助かることは稀だ。それは捜索を体験すればわかる。死者は胸に手を合わせて埋まっているわけではない。皆、苦悶の果てに亡くなっている。何よりも悲惨なのは遺族の悲しみだ。残された家族の時間はその時から止まってしまう。事故対策で最も大切なことは、事故を未然に防ぐことだ。 この稿では近年の北海道の雪崩事故についてその背景にあるもの、またニセコの事故防止の取り組み等を書こうと思う。ここに書くことが悲惨な冬山事故を少しでも無くすことに役立つことを願っている。
戦前戦後を通じ、ニセコはスキー登山の山として栄えてきた。ヒマラヤのマナスル初登頂によって起こった登山ブームの中で、ニセコでもスキー登山者が増え、事故が起こり始めた。1963年2月24日には、ヒラフスキー場に隣接する沢でスキーヤーが雪崩に巻き込まれ、一人が亡くなっている。この沢は今日、遭難者の名前を取って「藤原の沢」と呼ばれている。
ニセコの事故は1980年代半ばから多発し始める。この頃、各スキー場はそれまで標高1000m付近までだったリフトを、競ってアンヌプリ山頂直下、標高1200m付近まで延長した。その結果、以前は誰も滑らなかった山頂付近の急峻な谷に誰もが簡単に行ける状況が生まれた。1972年にエベレストをスキー滑降した三浦雄一郎氏の冒険に憧れた人たちは多かった。彼らは未知の斜面に競ってシュプールを描き、それと同時に事故も増え始めた。ニセコではリフト延長後の1985年から15年あまりの間に、9名が雪崩で亡くなっている。これは単一の山での雪崩事故としては日本で最も多い。
1983年、北海道大学農学部の新田隆三博士によりまとめられた「ニセコアンヌプリ山頂付近スキー場化に伴う安全対策に関する所見」の中には以下の記述がある。「スキー場は不特定多数が利用する有料自動車道に似ている。管理者は利用者に絶えずコース情報を提供すると同時に、利用者の事故を最小にするようコース整備、標識の充実、SOS電話の設置などの面でも道路管理者に見習うべきであろう」。
このレポートが書かれてから25年近くたった。結論を言えばこの新田レポートがその後のニセコの事故対策の指針となったことは事実だ。スキー場はこの勧告を受け、雪崩斜面の圧雪やパトロールによる危険除去、危険地帯の表示などを行ってきた。しかし事故はこのレポートに従って対策を講じても起き続けた。理由は新田レポートが指摘した「 スキー場は有料自動車道に似ているから利用者に絶えずコース情報を提供する」という、専門家が簡単に述べたサービスが言うほど簡単ではなく、実行されなかったためだ。
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