十一月二十二日(金)我々4人のメンバーは同日カミホロカメットク冬期登攀訓練の下山中安政火口付近で起きた雪崩に埋没した他団体(日本山岳会北海道支部)の救助現場に発生から約一時間後に遭遇、その活動に加わりました。
以下に我々の行動記録を報告します。
日時:平成一九年十一月二十二日(金)
行動メンバー:男四人
場所:カミホロカメットク(以下カミホロと略)北西稜
目的:冬季登攀技術の体験、悪天環境下の持久訓練
備考:カミホロ周辺登攀でのリーダー経験者二名、同山域登山未経験者二名。
日帰りのスキーを使わないアイゼン、ピッケルによる冬山登攀訓練という位置づけで登山を実施。
凌雲閣付近0830時の天候:曇り水平視程約80m小雪 風速約2m
(行動記録)
0030:天候判断の結果、小雪はチラつき視程は悪いものの、風弱く例年の気象状況に比すれば、楽に感じる天候であった。また冬型が緩みだしていたことを考え入山を決定。
0840:凌雲閣駐車場出発、安政火口までの緩い登りアプローチを他パーティが作ったラッセル跡に沿って歩く。経路上には30~40cm程の新雪があり一昨日から降り積もったものであると認識した。
0940:安政火口の入り口(ヌッカクシ富良野川1430m付近)に到着する。この場所は11月のこの時期、さまざまな山岳会のテントが並んでいる場所だ。過去四回この場所にきているが、今回は風景が例年と何となく違うことに違和感を感じた。歩いている雪面は固く、いつも同地点に見られる点在した岩は雪に埋まっていた。メンバーや他パーティとの話しで、沢状地形一体に広がる固い雪面はデブリであると考えた。それは過去に多くの入山者がベースキャンプを張る場所に雪崩の末端であるデブリが広がっていたのということを意味していた。我々はそのデブリの北端、幅2m高さ1m50ほどの岩そばでスノーシューを外し全員アイゼン、ピッケルを装着した。スノーシューとスキーポールはその大きな岩の影にデポした。
1000:安政火口出発、ルートは北西稜取付きまでの比較的平坦な地形。
出発と同時、我々の20mほど前方にスノーボードを背負いスノーシューで歩いているボーダーとスキーを履いてシール登行をしている二人組のパーティを確認。カミホロにもスキーヤーやスノーボーダーが入るようになったのかと少し驚く。我々は北海道の冬山でスキー、スノーボードの滑降を中心に活動しているがカミホロはあくまでも初冬のアイゼンピッケル訓練としての位置づけであり滑る場所ではないと思っていたからだ。
1205:登攀訓練を終了し下山開始。
1300:安政火口到着と同時に集団が大きな穴を掘っているのを確認。
「訓練ですか?」と我々のメンバーの1人が聞くと実際に人が埋まって雪崩救助中であることがわかる。すぐに四名とも救助作業に参加した。
以下はその後、私が確認し行った事項である
(時間等は概略であることを了承されたい)
同時刻に現場で確認した状況:
埋没したのは4名
掘り出し中:1名
(すでにビーコンとゾンデで場所と深さ(約2m)は特定済み)
救出済み、意識あり:1名
(デブリ上でツエルトに包まって座っていた)
救出済み、意識なし心肺蘇生中:2名
(デブリ末端の西側、安全地帯と思われる場所のテント内で実施)
埋没中(ビーコン未装着のためゾンデ捜索中):1名
雪崩発生後、すでに1時間ほど経過
掘り出しにあたっていた作業員は約10名。
埋没している残り1名のゾンデ捜索を行っていた登山者6名。
天候:曇り水平視程約30m小雪 風速約5m(ヘリでの救出は不可能と思われた)
行動
すぐ我々メンバーの1人に2次雪崩の見張り(実際には視程が悪く実効性は乏しいと思われたが)ともう1人に関係機関(消防、道警、付近の宿泊施設)へ救助の要請連絡を携帯電話で実施させる。私ともう1名は、掘り出し作業に加わる。
1320:最後の1名を掘り出し作業中、他にビーコン装着をしている埋没者がいないことを確認、2次災害対処のため現場救助作業員全員にビーコンを発信モードにするよう指示した。(その時点で救助作業員全員のビーコンは捜索モードもしくは電源を切っている状態だった)
1400時頃:ビーコンを付けている最後の埋没者の掘り出し完了、メンバーの1人が心配蘇生開始。
1430:安全地帯にテントを設営、吹きさらされていた意識のある生存者を収容、銀マットをテント内に敷き、ツエルトに包んだあとダウンジャケット数着を上から被せ、体力温存を図った。
1500:我々メンバー4人は、すべての食料と暖かい飲料水、防寒着を現場に残し下山開始。訓練前にデポしたスノーシューとスキーポールは雪崩に流されており見つからずツボ足で下山した。
1620:凌雲閣駐車場着
以上が救助に参加した我々の行動記録です。
続いて以下に、実際に雪崩埋没者の救助活動を行った登山者としての所感を記します。救助現場で感じたことを出来るだけそのまま伝えることを念頭に記述しましたので、見苦しい点、もしくは不快に感じる箇所もあるかと思いますが、何卒ご了承下さい。
救助活動に対しての所感
我々4人のメンバーは初冬のピッケルアイゼンによる登攀訓練をカミホロ山域で行った。我々の訓練の目的は、冬季登攀技術の体験、悪天環境下の持久訓練であり日帰りの初歩体験的な訓練という位置づけであった。いつもは冬山をスキーやスノーボードの滑走対象としているメンバーをアイゼンピッケル装着が必須の全く違う環境下へ連れ出し、滑り中心の山行では分からない冬山の厳しさを体験、認識してもらおうというものだ。毎年冬期登攀未経験者を2名ほど連れて行くことにしている。今年で4回目の訓練だった。
本山行の一週間前に雪崩事故(11月13日に発生したカミホロ山下降ルンゼ雪崩=以下、下降ルンゼ雪崩と略)が起きていたので警戒はしていたものの発生地域は我々が避けて行動する地形であり、対象としている切り立った尾根ではないこと、スキー、スノーボードによる当山域の滑走は実施しないという理由から中止せず入山した。
入山後、ヌッカクシ富良野川に降り安政火口の入り口(ヌッカクシ富良野川1430m付近)に辿り着いたとき、例年と違う光景を確認した。それは雪崩の末端であるデブリが、登攀入山者たちが例年ベースキャンプを張る場所に到達しているということであった。この場所は私も過去にテント泊をしたことがある場所で雪崩はこないだろうと思い込
んでいた場所だった。これは私だけでなく冬期カミホロ入山経験者全員のそれまでの大方の見解のようにも思える。実際この場所は例年、山岳会のテントで色鮮やかになる場所だ。だが同場所を避けてさらに下方の安全な尾根沿いにテントを張るパーティの存在もないわけではなかった。
そこで気付いたのが、このデブリは先週(11月13日)に起こった下降ルンゼの雪崩の末端ではないということだった。おかしい・・と思いながら、このデブリはいったいどこからきたのか気になり予想を立てるものの視界悪く水平視程距離も短いので全く検討がつかなかった。結局そのデブリの北端にあった目印になりそうな大きな岩付近でアイゼンを装着、4名分のスノーシューとスキーポールをその大岩の影にデポし登攀開始した。あとでそのデポした4人分の装備すべてが2時間後に起こる雪崩のデブリの中にすべて埋まるとは思いもよらずに。
登り始めからすぐ、行動記録でもあえて触れたがスノーボードを背負いスノーシューで歩いているボーダーとスキーを履いてシール登行をしている二人組のパーティが、化物岩と八ツ手岩の間と思われる場所を登っているのを確認した。本山行における我々のメンバーがその時感じたことを以下のように報告している。
「スキーヤーとボーダーが去年自分達が登った尾根に取り付いて登っている、こいつらやばいな、危ない、こんな視程で滑るのは危険だ、雪崩てもしらねぇぞと心の中で思った。実際その二人が登っている場所の東側の沢は去年来た時雪崩れて安政火口近くまでデブリが到達しているのを思いだした」
その時点でのカミホロの天候は大荒れの天候ではなかったがスキーやスノーボード滑降をするには視程が十分ではないことは確かだった。我々の中心活動は冬山におけるスキー、スノーボードの新雪滑降であるから、カミホロ山域を滑ろうとする方々を非難するつもりはまったくない。どちらかというと同類の立場だ。ただ滑る場所と気象条件が、我々の基準とは違ったので違和感を感じたのだ。
そして我々は数時間の登攀訓練を終了し下山を開始した。
地形がなだらかになっていき「そろそろ安心できる場所に辿り着くな」と思っていたその矢先、遭難救助現場に遭遇した。我々4名のメンバーは過去3年に渡りチーム独自の定期雪崩講習会を毎年実施していたので迅速に作業の中に加わることができたと思う。すでに救出作業を実施していた状況下で私や他のメンバーがすぐ心配になったことは二次災害の防止であった。私は救助作業現場のリーダではなかったが二次雪崩警戒要員の配置、現場にいる全員のビーコン発信再設定などを指示させてもらった。(下山後、報道で作業員のうちビーコンを持っていない人がかなりいたことに驚きを隠せなかったが)また実際に二次雪崩警戒員の配置については、どこを警戒すれば良いのかについて疑問があるところではあったが(現場の水平視程は約30mで雪崩が一体どこから流れてきたものなのかすら分からなかった)それを配置することは残された全作業員の安全確保にベストを尽くすという意味で必要不可欠と思われた。
ここで再度書かせててもらうが私は現場のリーダーではなかった。だが不足していると思う指示は出した。通常こういった指示はリーダーを介して行われるものだ。しかし私は勝手に指示を出した。それは誰がリーダーだか分からない状況だったからだ。
次に我々のメンバーの1人が関係機関への通報を行った。
その時のことを本人は自身の山行記録でこうレポートしている。(以下、原文通り)
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「警察に連絡をすると事前に現場の登山者から雪崩の一報はあった様子。
状況を細かく聞いてくる、電波がとぎれとぎれになりうまく伝わらない。
パーティの人数、天気、風、視界、埋まっている人の人数(性別、歳も)、けが人の人数、現場にいる人の人数、自分たちの所属、これらのことをしつこいくらい聞いてくる。
こちらからすれば性別、歳なんて後から聞けばいいことで余計な事聞いてくる暇があったら早く助けに来いと、少しいらつく。
警察に電話をしながら周りの状況を見ていく。
現場にいる総人数は20名弱とみた、自分の立ち位置(最も上流側の掘り出し救助現場付近)から南側に心肺甦生をしている、3名。
西側約10メートル付近に長座でツエルトに包まっている女性1人。
その奥更に約20メートル西側でゾンデ捜索6名くらい自分のすぐ横で掘り出し作業中10名以上。
その時掘り出しの深さは2メートルを超えていたと思われる。
その後、警察は期待できない、上に登ってくるまでどれだけかかるか分からないと思い、稜雲閣(現場山域の登山口にある温泉宿泊施設)の電話番号が携帯に入ってなかったので、吹き上げ温泉保養センターへ電話をかけて、近隣の温泉施設等に連絡して救助に来て欲しいと伝えた(モービル、ソリを出して欲しい)。
この時点で自分としてはもう優先順位は決まっていたのかもしれない。
ツエルトを被って長座になっている女性がいて、下半身を痛めている様子、この女性を迅速に降ろす必要があるような気がした。低体温症が気になり、何分かおきに話しかけに行く。意識ははっきりしている。でもまだ解からない、ウエアーの中に雪が少し入っているのが見える、こめかみの辺りに出血の後があるが止血している。主人がまだ埋まっていることを何度か話しその服装などを説明してくる、なんとか助けてほしいと。
3回目くらいに様子を見に行った時、この格好ではじきに低体温の症状が出てくるのではないかと思いダウンジャケットを着せる。その後話しを聞きに行った時におしりの下が寒いというので、さらにリーダー(私)と他メンバーのダウンジャケットをおしりの下に敷いた。その時はかなり腰を痛がっている様子であった。本当ならウエアーの中に雪が入っているのを確認し、湿っている可能性のある衣類をある程度着せ替えるべきだったのかもしれない。
登山口まで下ろせるのか気になる。こんな痛がっている女性を下まで降ろすのは酷だなと。
ソリが届けば・・・・なんとかなるか・・・・
その後消防へも電話をかける、警察とほとんど同じ内容を伝える、動く気配無し、それどころか警察の要請がないと動けないと言ってくる、どうにもならないみたいな事をこの緊急時に言ってくる。ますます腹がたつ、低温で電話の電池があっという間に無くなる。結局携帯電話を3つも使う羽目に。何度か電話がかかってくるが出ることができず。警察へもう一度電話をする、山の専門家に代わると言ってきた。山の専門家にも結局、同じような内容を話すことになる。すぐ動いてくれる気配は無い。これ以上どこに連絡とっても無駄だなと思い始める。
足腰を痛めている女性を降ろせるのか気になる、早く助けに来てほしいと切に思う。
途中で意識のない遭難者の心肺蘇生をしている人の所へ行き状況を聞く、もう40分は心肺蘇生を行っているとのこと・・・・。
ツエルトを持っていないかと聞かれたので、出して遭難者をツエルトでくるんであげた。
その後ゾンデ捜索している所へ行き話しを聞く、一番下で発見された人の所から上に上がってきているのだという、6名程いただろうか。
山の専門家とまた携帯で話すことになった、民間の捜索隊を出すのかどうかを聞いてきた、
が俺にはその権利はない、当事者、またはリーダーにしかその権利はなく電話を当事者と代ってくれと言ってきたので、遭難した団体のリーダーに伝えにいった。そこで他のグループのリーダーも一緒にいて「お願いする必要はないのでは」という話しになる。こんな非常時に何言ってるんだと思いながら話しを聞いていたが、他の人も集まってきてやっぱり民間の捜索隊に出てもらったほうがいいのではという話しにもなる。
結局、人が集まって捜索し始めるのは日が暮れてからになるから要請をやめようということになり、断りの電話をいれる。
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事実をそのままを載せた。
ここで伝えたいことは組織に対する批判ではない。
「これが遭難時の現実である」ということを登山者に知ってもらうことである。
我々は、埋没から救助され唯一意識のある女性がいまだデブリ上にひとり残されているのが気になり安全地帯まで数十メートル、ツエルトにくるんで降ろした。雪崩による負傷をしていた彼女は非常に寒がっていたので、自分たちの持つありったけのダウン防寒具とツエルトを巻き付けデブリ外に設置したテントの中に入れた。その隣にはまた別のテントが張ってあり、その中ではまだ心肺蘇生を行っていた・・・。
彼女はいまだ埋没している自分の夫のことをテントの中で案じた。私はこう言った。「大丈夫だ、いま探しているから・・絶対に大丈夫だ」彼女は負傷の痛みと寒さによく耐えながら気丈に振る舞った。そんな姿を見て私はなんと声をかけたらいいのかも分からず、ただ目頭が熱くなり悔しくなるばかりだった。
雪崩発生から我々が到達するまで約1時間、現場の登山者はビーコンとスコップ、ゾンデによりすでに3名を掘り出していたので、作業は必死かつ迅速に実施されたのだと思う。しかし我々が到着時は全員すでにかなり疲労困憊している様子であり、たった2~3m下に埋まっている人間を掘り出すことがどれだけ大変なことかを痛感した。現場の人員は20名ほどいただろうか。その場所に居合わせたさまざまな団体が救助作業にあたっていたが、その人数をもってしても固いデブリの中から1人の人間を生存確率の高いとされる埋没15分以内に掘り出すのは至難の技と思われた。私も必死に掘り出し作業をしたが、固い雪とつらい姿勢による作業は、短時間で体力を消耗してしまい、掘りたくてももう体が動かない・・となってしまう。やっと顔まで掘り出したとき、救助現場にいる全員が埋没者に対して励ましの声掛けをする、「大丈夫だ、もう大丈夫だから」と。しかしその言葉に対する反応はない。埋没者は斜め45度の姿勢で埋まっていた。埋没者のザックはそれよりさらに下に埋まっていたので切り離すために他の作業員がナイフでザックのストラップを切った。埋没者はすでに心肺停止状態であり、心肺蘇生法の訓練を受けた者による蘇生作業がすぐに開始された。それまで掘り出し作業をしていた私は、ただ自分の無力さに虚脱感を感じ、しばしぼう然とした。
私は山岳地帯を飛ぶ飛行機の操縦士でもある。急峻な山を空から俯瞰するとそれは幼稚園の砂場によく似ていることに気付く。園児の作った山は、砂を盛り過ぎれば崩れ、水をかけ過ぎれば形が変わってしまう。園児はそのことにやがて気付き、崩れない固めた砂山を作るようになる。
雪崩だって同じことだ。斜面に雪が大量に降り積もれば雪崩は起きるに決まっている。空から見ると、雪崩が起きそうな斜面は誰が見ても一目瞭然だ。そこに難しい理屈はあまりないように思われる。しかし地上を這っているときに、それに全く気付けない。我々は、もっと地形をじっくり俯瞰してみる必要があるのかもしれない。園児が崩れない砂山にオモチャを歩かせるように。
その後、我々は自分たちの食料と防寒具、サーモマグに入れている暖かい飲み物すべてを現場に残し下山した。我々が登攀前に大きな岩の下にデポしたスノーシューやスキーポールは、すべて流され雪の中に埋まってしまった。これが意味することは我々も1時間早く下山していれば「雪崩に遭遇していた」ということだ。いま生きて下山の途についているのはパーティのリーダーである私の力でななく「ただ運が良かった」だけである。雪崩に巻き込まれた当該パーティを自分のこととして考えると、この場所を歩いている自分が急に恥ずかしくなってきた。突然、目の前に「死」というものを寸前まで突きつけられ、いままでやってきた冬山は一体なんだったのかと、この山行のリーダーとして帰路1人反省した。私の山行に参加したメンバー3人の命を預かるという立場で、はたして真剣に計画をしただろうか?デブリを発見したときの行動時の判断は適切だったのか?そもそもなんのために自分は冬山をやっているのか?という根源的なところまで。
冬山におけるリーダーの判断はつまるところ、そのメンバーの休日の過ごし方とその後の人生を左右するのかもしれない。
すなわち
登山を中止して暖かいコタツの中で過ごす平和な休日か
登山を続行して運よく快適な山行を楽しむのか
登山を決行して迎える極寒山中での遭難か
いままで遭難報告書を読み、疑似体験してきたものはなんだったのか?
今回の事故救出現場に遭遇し
あたりまえのことだが
冬山登山は安全に行えるスポーツではないということを改めて痛感した。
守られたフィールドのなかルール通り実施する訳ではないのだから行動時における死の可能性は否定できない。
死ぬぐらいなら、やらないほうがいい。
しかし、冬山登山という行為は
ある種の人間に類いまれなる自由をもたらす。
それはこの国において
非常に希有なものだと思われる。
だからこそ、
「この偉大な遊びで死んではいけない」と切に願う。
湯口 公
(ゆぐち いさお)
野営飛行映像舎主宰
極北野営飛行家
旭川市出身、弘前大学理学部卒業、極北野営飛行家
航空自衛隊在籍約10年、千歳基地F-15戦闘機パイロットとしての経歴を持つ。在籍時、日米合同演習にてアラスカの上空を飛び感動したことがきっかけとなり退職、以後自家用ブッシュ飛行機「ハスキー」を購入しアラスカの大地を冒険飛行する。アラスカ縦断単独飛行、北極圏ブルックス山脈飛行、チュガッチ山脈ツンドラ不整地着陸、厳冬期氷河飛行などアラスカで野営をしながら数多くの極地・山岳飛行を行う。登山歴15年、主に冬山と沢登りを好む。北海道大雪山縦走、須築川、忠別川遡行など。アラスカとニセコを拠点に「野営飛行映像舎」を主宰、アウトドアとアラスカ飛行の写真映像を提供公開中。
http://talkeetna.jp
関連リンク:北海道のなだれ事故 (新谷暁生氏)